保育園でキャッシュレス支払を導入して欲しい&思考停滞は恐ろしいなと改めて思った話
保育園料無料化になりましたね。本当に家計にとっては非常にありがたく思っています。(御恩は、わが子たちが幸せだと感じられる人生を生きつつ、税金を納めていける人間に育つことでお返ししたい。。。!)
ただ、保育園料以外の遠足代だとか延長料金だとか、ちょろちょろとした雑費的なものが現金払いなのが非常に困っています。現金払いな上に、「おつりのないように」1週間以内に持っていくというのが難易度高いです。990円とか、超困ります。。。笑
銀行はネット銀行ですし、支払いはモバイルスイカやクレジットを使っているので、本当に現金を使うことってほぼないんですよね。リアル銀行は15時でしまっちゃいますし。。。
で、ついに園長先生とひと悶着。
私:現金をほとんど使わないので、振込とか電子マネーとかキャッシュレスでの支払いにしたいです。
園長先生:延長料の振り込みは、振込で対応できます。それ以外は家に小銭を用意しておいて、引き続き1週間以内に払ってください。
私:(がーん。。。)
園長先生:あなたのお母さんやおばあさんもそうされてきたんだから、あなたもそうしなきゃだめよ。
私: (怒りの感情がわいてくる)
怒りの感情は、
- なんで、過去そうだったから、という理由で古いやり方をそのまま続けるのか
- 私の母や祖母が生きていた時代と外的環境が変わっていないとでも思っているのか
- 保育園は金がない、保育士は大変、とかいう前に業務効率化するという考えはないのか
などなど、、、いろんなことが一気に頭を駆け巡って怒りの感情になりました。保育園の業務効率化って、子どもを預けている外の人間から見ると、
- 投薬表の紙での運用をやめる
- 雑費類の現金の受け渡しをやめる
- 連絡事項を掲示板での手書きで行うのをやめる
- 家庭連絡票を紙で書いて提出するのをやめる
- 写真注文をネット化する
あたりが思いつきます。保育士の提供価値って何なんでしょうね。ビジネスだと当たり前ですが、価値曲線書いてみてその価値曲線を実現できるようにBPRやBPをデザインしていけばもっとよいサービスができそうなのに、と思ってしまいます。
投薬表なんて、飲ませてくださった後、何時何分に飲ませたのか、飲ませたあと異常があったかなかったかを先生が"紙に手書き"で書いているんですよ!
雑費類を支払うときは、ただでさえ忙しそうな朝に、支払金額がぴったり入っているかいちいち封筒から現金を出して数えて確認してるんですよ!
連絡事項は、毎日子どもがお昼寝している間に、どんなことをしたのか、明日はどんな持ち物を持ってきてほしいのか、などを先生が"手書きで"ホワイトボードに書いているんですよ!(そして、見落とすな、書いていることを忘れるな、とか言ってきます。量が多いと忘れますよ。。。写メとりますけど。実はそれも手間。。。)
毎年4月に家庭連絡票なるものを書くのですが、"紙で"受け取って、書き漏れがないか確認してパンチして。。。とかやってるんですよ!
写真注文に至っては、撮影してくださった写真を1枚ずつ印刷してそれぞれ番号を振って廊下に掲示し、それを保護者がどの番号の写真を何枚欲しいか&合計金額を紙に書き、それを保育園側が集計して印刷し、各園児の写真受け渡し袋に注文書を見て写真を入れて渡すというのをやっているんですよ!
そりゃ時間ないわ。。。そりゃ大変だわ。。。とつくづく思ってしまいます。BPRやBPデザインのスキルがないなら、対価を払ってコンサルティングとか入れて、一時頑張った方が、保育園にとっても利用者にとってもより幸せな未来が待っていると思います。
今までやってきていたから、という理由で惰性のようにやり続けていることは私にもあるので、その点はこれからも引き続き順次精査して変えていかないといけないな、と思っています。同じ思考に陥らないように気をつけていかないと。。。!
私の場合は、服やメイク関連はプロを雇ったほうが良さそうということが分かった話。
先日、パーソナルブランディングやスタイリングといった分野のコンサルテーションや、コンサルテーションまではいかないスタイリストさん主催の雑談会に参加しました。
コンサルテーションの方は、骨格診断という考え方をベースに自分がどんな分類の服が似合うのかを理解するもので、6人のグループコンサルテーションでした。コンサルタントの方が、おでこと肩と腰の曲線具合を触診し、体つきが全体的にどの程度曲線系もしくは直線形なのか診断してくださり、さらにいろんな素材感や柄の布を当てて顔周りが映えるかどうかで似合う服のタイプを絞っていく、というものです。
もう一つのスタイリストさん主催の雑談会のようなものは、主催者のスタイリストさんのほかに私含めて2人がカフェでファッションのお困りごとやその他気になることを雑談形式で話していく、というものでした。こちらは、何か理論をベースにしているというよりは、どんな感じにしたいのか+基本的には着たものをきればよいよね、という思想のようでした。
二つ参加してみて思ったのは、私の場合はファッションやメイクにも理論や論理がいる、ということです。骨格診断をベースにしたコンサルテーションの方が、私の場合は応用が利きやすく、参加後に、選ぶ指針のようなものができ受講前よりも自分でなんとなぁくは選べるようになりました。雑談形式の方は、理論や論理がつかめなかったので、参加後に自分で適用して服を選んだりメイク関連を選べなかったです。
加えて、雑談形式の方では、主催者のスタイリストさんともうお一方の参加者の方と会話させていただく中で、私は服とかメイクに興味がなさすぎること、興味がないから学ぶ意欲もそこまで出ないこと、とはいっても人に失礼なことはしたくないこと、というのがわかり、この分野ではお金を積んでプロを雇ったほうがROIが高くなりそうだという結論を得ることができました。
だってねぇ。。。グレージュとか、他にもいくつかワードが出てきたのですが、全然意味が分からなかった。。。そして、ファッション雑誌を読んでらっしゃるなど、服にある程度興味があることが伺えるお話がお二方から出てくるのに対比して、私からはAir closetの話以外、全然出ないという。。。
人には向き不向き、興味のあるなしがあって当たり前ですが、自分が他社との比較でここまで興味がなかったのかぁ、ということが分かり、ちょっとおもしろかったです。
ちなみに、私は、骨格診断による似合う服のタイプが、華やかで女性らしい雰囲気のスタイルが似合うRomanticという分類でした。骨格が、全体的に最も曲線が強いタイプだそうで、どんな服が似合うかでいうと、布をいっぱい使っている、首物とが開いている、花が大きい柄、柔らかい素材、フリルとかは大きめ、チェックではなくドット、といったものだそうです。
今までジーンズにTシャツ、コンバースみたいな服装だったのですが、こんな服装は相性が悪いとのこと。。。笑
今度は、カラー診断を受けてみたいなぁ、と思っています!
ストレングスファインダーを勉強することで他者理解をしようとしている話。
いきなりぶっちゃけますと、私、人の気持ちがわからないんです。よく、いつも笑顔で印象がとても柔らかいのに、一緒に仕事をすると言うことが厳しい&ギャップが激しい、とよく言われます。
「人に合わせた伝え方を」というのは頭ではわかってはいても、どうしたらよいかわからないんです。そもそも相手の状態を把握することが苦手。傷つけたいとは本当に少しも思っていないのですが、発言時に、相手が今どんな状況に置かれているのか、相手がどんな価値観なのか、今どんな感情なのかを考えてから、などといった回路が全然workしません。
ん~、これは困ったぞ。人を傷つけるのは避けたい。他人がわかるようになりたい。せっかく一緒に仕事するんだったら、楽しく成果を追求したいではないか、といろんな人に相談してみたときに、ストレングスファインダーを勉強してみたらいいんじゃないかとアドバイスをもらいました。
それで、まずは自分が受けたときのを改めて見てみると。。。
戦略的思考系に強みが超カタヨッテイル!!!
上位10位までに戦略思考系の強み8個中7個がある始末。おまけに影響力や人間関係構築力の資質が一つもないという。。。
別にいい悪いではないので、ショックというわけではないのですが、上位10位以内が実行力の資質+戦略的思考力の資質で構成されているのを見て、率直な第一印象は、あぁ、個人技なんだな、と思いました。
※ストレングスコーチと言われる有資格者の方が見たら、また違う感じなのかもしれませんが。。。
自分のは改めて見てみた。次は、各資質について深く知ろう!、ということで、ストレングスコーチの方が主催する各資質の勉強会に出席し始めました!
途中参加で、まだ6資質しか勉強していないのですが、例えば私が持っていない調和性とか公平性とかを勉強したときには、そんな価値観なんだ!、という目から鱗がいっぱいでした。
※各資質の勉強会については、また改めて書きますね!
まずは、ストレングスファインダーの各資質を理解して、相手がどの資質を持っていそうか見立てられるところを目指したいと思います。そうすれば、どんな価値観が予測が立てられるので、今よりはずっと対応できるようになりそうな予感です。
自分の強みの上位10位以内にある、学習欲と目標思考と分析思考と内省を使って挑戦してみようと思います。笑
祖母が余命5か月と診断された話
西日本に住んでいる94歳になる父方の祖母が、がんと診断されました。
目の奥にできていて、手術すると左目も取らないといけないし、骨も削らないといけないし、年も考えると手術しなくてよいのではないか、ということで、手術せずこのままにすることになりました。
祖母の子どもは私の父を入れて5人いて、私の父を含めてうち3人が存命中です。存命中の3人がみんな祖母の家から車で1時間以内のところにいて、1人は同居、1人は徒歩5分圏内、1人は車で1時間程度のところに住んでいます。この3人で、先日大学病院に行って検査&説明を聞き、手術をしないという最終判断を下しています。
祖母は、4年前の90歳のときに旦那さん(私の父方の祖父)を亡くしてから認知症を発症し、自分の妹(今89歳)と自分の長男(=私の父の兄)と末息子(=私の父)の妻(=私の母)以外は誰かわからなくなってしまいました。当然、私のことも、誰だっけ??、という状態です。
認知症を発症しても祖母は非常に穏やかで、人のことを忘れてしまった以外は、徘徊することもなく、暴言を吐くこともなく、排せつ関連の問題もなく、いつも「極楽 極楽」「ありがたい、ありがたい」と手をすり合わせています。祖母の妹に聞くと、祖母は若いころから競争事すらも嫌がる穏やかな人だったそうで、人を罵ったりすることもなくけんかもしなかったそうです。そんな事態になりかけるとその場を外していたと。私も祖母が声を荒げたりするところは見たことがありませんし、怒られた記憶すらありません。
祖母が認知症を発症する前、まだ祖父も存命で祖母の88歳のお祝いを親族みんなでしたときに、祖母にいつが一番幸せだったかと聞いたことがあります。そのときは、「今が一番幸せ。みんなが元気で笑って過ごせている。それが一番。」と満面の笑顔で言っていました。また、一番つらかったことは?と聞くと、「お金がなかった時。戦争が終わってしばらくして、道路を作るっていうので土地を国に召し上げられた。お金がなくて、夜、子どもたちが寝ている隣で、明日からどうしようとすごく悩んだこと。」と言っていました。
父に、子どものころ自分が貧乏だと感じたことはあるのか?と聞くと、「ある」とのことで、父の周りの子たちが自転車を買ってもらっていて、自転車を買ってくれといったが買ってもらえず、自分の家はお金がないんだと実感したんだそう。そんな経験があるからか、祖母も父もとても堅実で、私は一度もお金に困ったことはありませんでした。大学も奨学金を借りずに行かせてもらえたし、海外にも行かせてもらえました。
私は、お金に困ることもなく、穏やかで優しい人たちに囲まれて育ってきました。いつも笑顔を向けてくれ、がんばりなさいと言って励ましてくれ、結果が出たらとてもよろこんでくれて認めてくれる人たちに囲まれて育ちました。祖母と父の家系に生まれることができて、本当に幸せです。そして、いろいろ悩ましいことはありますが今も私は幸せです。
私はもう、飛行機を使わないと祖母に会えない距離に住んでいるので、2018-2019年の年末年始に帰って以来会っていません。ただ、私の息子たちの七五三を私の実家でしようと思っているので、来月10月に帰省する予定です。きっと、それが生きている祖母に会える最後になると思います。10月に会った後、次に会うのは祖母が棺に入っているときでしょう。
最後に会ったときにどう時間を過ごすか、すごく考えています。なんだか泣いてしまいそう。すでに、祖母が亡くなってしまうということを考えるだけで涙が出てきます。会うたびに「かわいい、かわいい」と言ってくれたこと、祖母の穏やかな笑顔、優しい声、帰省したときに会話した内容、一緒に笑ったこと、一緒に寝たこと、作ってくれたご飯。思い出が頭の中に浮かんで、涙が出ます。ただ生きているだけでいい、という感情をようやく理解できたように思います。
今年は、人生観にパラダイムシフトが起こりつつあるな、と感じる今日この頃です。本当に人って、死んでしまう。それも簡単に死んでしまう。予兆がないこともある。そんな中でどう時間を過ごしていくのか、どう人と関わっていくのか、改めて考えだしている今日この頃です。
苦節8か月。ようやくSBI証券に口座を開設した話。
今年の1月から投資信託に興味があって、SBI証券の口座開設に取り組んできました。
ようやく、5月にマイナンバーカードを発行して身分証明書を送り、本日、積み立てNISAの口座開設の手続きをし、SBI証券の普通預金口座も開設してジュニアNISAの手続きもついでに途中まで行い、給与振込口座も変更しました!
苦節8か月。ようやくたどり着きました。。。
なんでこんなに時間がかかったのかぁ、と改めて振り返ると、いろいろわからないことだらけだから調べながらになるんですよね。そうすると、まとまった時間がないと作業が進まない。まとまった時間を予定の中に組み込んでおかないと、当然そんな時間は捻出されない。というサイクルでした。
なんで本日そんなに頑張ったかというと、最近、下記の本を読んでみて、自分の望む人生が生きれていないな、会社にコントロールされている部分が多いな、と感じ、一念発起。
いや別に、なにかすごく問題があったというわけではなく、人生における春と夏が過ぎ、そろそろ秋が来ようとしている年齢になって、なんとなく違和感があって読んでみたのです。
「仕事があるから」というのを理由に、他のことをどれだけ後回しにしたり断ってきたりしたのだろう。そんなに自分にとって、仕事って優先順位が最高位のものだったのか?仕事に求めているものはなんだったのか?というところを考え直すことができたのです。
仕事=人生ではなく、人生の一部が仕事である、ということに、明確に気づけたのです。
だから、一念発起して、自分のための時間を確保するようにして実行したのです。今後も週に1回は3時間ほど自分のための時間、特に今の状況を改善する時間をとることを続けたいと思います。
ちなみに、上記の「史上最強の人生戦略マニュアル」の書評をついでに書いておくと、気づきとしては、人生も仕事と同じフレームで考えて進めていけばいいんですよ、という点もありました。
- ゴールはなにか、目的は何か
- 今の状況はどうなのか
- 今の状況とゴールのGAPはなんなのか=問題の設定
- GAPを解決するためにすることはなにか=課題の設定
- では、課題をクリアするために具体的にどう動くのか=計画立案と進捗を図る指標(KPI)の設計と設定
- 実行
- 振返り&調整
仕事では、フツーに使っているフレームなのに、人生においては使えていなかった自分にびっくりでした。
ただ、仕事と人生では、やはり人生の方が壮大で、会社のように経営者や役員たちがゴールや目的を決めてくれるわけではないので、そこが苦しい。
おまけに、今の状況を盛ることなく受け入れることも苦しい。ともすれば、過大評価したり状況をそこまで悪くないと評価したり、言い訳をしたり。。。こんなことしていたら今の状況を事実で把握できないので以降のプロセスがザルになっちゃうんですよね。
でも、人間は、自分のことを過大評価するようにプログラムされているからどうしても苦しい。結局私は、数字とか他者からのコメントを参考に今の状況を評価しました。
なんだか心にモヤがあるな、変えたい!と感じている方にはお勧めです。
お盆明け一日目は、打ち合わせを1つでも入れたほうがエンジンがかかりやすかった
毎年、お盆やお正月に1週間以上休むと仕事めんどくさいなぁ、さぼりたいなぁ、と毎回思っていました。
だがしかし、広告代理店の人が週末に海外旅行(世界一周)に行くために仕事を段取りして進めているという話を読んだことと、初日なのに1つ打ち合わせを入れて実施した結果、エンジンが見事にかかりました。
仕事はいやでもしないといけない、というなんだか楽しくないのにしなきゃ、みたいな苦行になりつつあったので、上記の記事を読んでハッとなりました。他に目的を設定して、その目的を達成するための手段が仕事なんだと思えばいいじゃない、と。
仕事の目的はお金を稼ぐこと、と設定するのではなく、もっとわくわくすることを目的として設定することがミソなんだな、と気づきました。今までの自分を振り返ると、仕事そのものが楽しいからやりまくっていた、という以外に何もなかったので、仕事内容によって結構パフォーマンスが左右されてしまっていたんですよね。それが、例えば読書をする時間と費用を作るためなんだ、と考えればぜんぜんやる気になる。
自分が心からやりたいこと、したいと思うことを目的に設定して、その目的を達成するための打ち手の一つとして仕事を認識すると全然楽しい。よい気付きだったー。
で、もう一つの打ち合わせを1つでも入れたほうが、というのは、今まで、初日は頭が切り替えられていないから打ち合わせは避けておこう、といった思考だったのですが、人数が2-3人ぐらいの発散系の打ち合わせだと、いきなりすべてをトップギアに挙げる必要がないのでちょうどいい刺激になりました。
本日の自分的気づきは下記2点。
- 長期休み明けの初日には、人数が2-3人ぐらいの発散系の打ち合わせを1つ入れる
- 自分が心からやりたいこと、したいことを目的に設定して、その目的を達成するための打ち手の一つとして仕事を認識する
今日も死ぬことなく病気もせず、時間を過ごせました。なんとありがたいこと!
30代のいとこが突然死しました。
8/10(土)に母から電話があり、突然「K君が死んだって。」と一報をもらいました。道を歩いていたのですが、あまりにびっくりしてしまって立ち止まってしまいました。
母の弟の息子さんで、33歳。
会社に出社してこなくて、会社の方が電話を掛けたがつながらず、家に行ってみたら死んでいたそう。警察からは事件性なしと判断され、医師からは朝方死んだようだね、と言われたとのこと。死因は不明で、解剖はせず。病歴もないし、死につながるようなことに親族みんな心当たりもない。
医学は専門外ですが、ネットで軽く検索すると「青壮年突然死症候群」なるものがヒット。これなのかなぁ、とぼんやり思う。
私が小学生のころ、「komaちゃん、komaちゃん!」と慕ってくれて、母方の祖父母の家に行ったときに一緒に遊んだ記憶があります。東北地方の強烈な真冬でも、家の中では上下のトレーナー1枚に素足で遊び、外に出るときは羽織物を1枚羽織って出る、そんな元気でやんちゃな男の子でした。母方の祖父母の家は、当時私が住んでいたところからだいぶ遠かったので、私が小学生のときに会って以降全く会わず話さず、最後に姿を見たのは昨年の9月でした。昨年の9月も一言も話すことなく、少し離れたところから姿を見ただけでしたが、背がすごく高くなっていてすらっとしていた姿を見て、大きくなったなぁ、と思ったのを覚えています。
K君はもういないのに、当たり前なんだけど世界は変わらずここにあって時間も流れている、ということにすごく違和感というかなんだかちょっと小さな引っかかりを感じています。改めて、人って簡単に死んでしまうことや、いつ来るかわからないけど確実に自分を含めて死ぬということをより自分事として感じています。
だからどうしたって、別にどうもしないのですが、明日突然、大事な人とお別れすることになってもきっと思い残すことはないだろう、と思える日々を過ごしていきます。
私は死に顔は見ていないのですが、叔母曰く、とてもきれいな顔だったとのこと。K君には好きな人がいて、周りもそれに気づいていて、一緒にしてやれ、などとちょっとおせっかい(?笑)をしていたとも。
K君のお母さんは、ものすごく嘆き悲しんでいる様子。少し前にK君が誕生日だったので、LINEでおめでとうを送って既読がついたのを確認したのが最後とのこと。K君のお父さんも、何もなく突然死んでしまった、と。私の母もショックな様子。
明日死ぬ可能性があるんだからと刹那的に生きるのではなく、明日以降も今日と変わらずずっと生きているという前提で生きるんだけど、振り返った時にこれ以上幸せな時間はないと思える時間にしていく過ごし方をしていきたい。