東京都中央区勤務のワーキングマザーがいろいろのたうちまわった記録

育児も会社勤めも個人事業主も自己研鑽も趣味も全部やってやる、と試行錯誤している日々の記録です。子どもの話、仕事の話、ガジェットの話、日々思ったことなどを書いていっています。

祖母が余命5か月と診断された話

西日本に住んでいる94歳になる父方の祖母が、がんと診断されました。

目の奥にできていて、手術すると左目も取らないといけないし、骨も削らないといけないし、年も考えると手術しなくてよいのではないか、ということで、手術せずこのままにすることになりました。

祖母の子どもは私の父を入れて5人いて、私の父を含めてうち3人が存命中です。存命中の3人がみんな祖母の家から車で1時間以内のところにいて、1人は同居、1人は徒歩5分圏内、1人は車で1時間程度のところに住んでいます。この3人で、先日大学病院に行って検査&説明を聞き、手術をしないという最終判断を下しています。

 

祖母は、4年前の90歳のときに旦那さん(私の父方の祖父)を亡くしてから認知症を発症し、自分の妹(今89歳)と自分の長男(=私の父の兄)と末息子(=私の父)の妻(=私の母)以外は誰かわからなくなってしまいました。当然、私のことも、誰だっけ??、という状態です。

認知症を発症しても祖母は非常に穏やかで、人のことを忘れてしまった以外は、徘徊することもなく、暴言を吐くこともなく、排せつ関連の問題もなく、いつも「極楽 極楽」「ありがたい、ありがたい」と手をすり合わせています。祖母の妹に聞くと、祖母は若いころから競争事すらも嫌がる穏やかな人だったそうで、人を罵ったりすることもなくけんかもしなかったそうです。そんな事態になりかけるとその場を外していたと。私も祖母が声を荒げたりするところは見たことがありませんし、怒られた記憶すらありません。

 

祖母が認知症を発症する前、まだ祖父も存命で祖母の88歳のお祝いを親族みんなでしたときに、祖母にいつが一番幸せだったかと聞いたことがあります。そのときは、「今が一番幸せ。みんなが元気で笑って過ごせている。それが一番。」と満面の笑顔で言っていました。また、一番つらかったことは?と聞くと、「お金がなかった時。戦争が終わってしばらくして、道路を作るっていうので土地を国に召し上げられた。お金がなくて、夜、子どもたちが寝ている隣で、明日からどうしようとすごく悩んだこと。」と言っていました。

父に、子どものころ自分が貧乏だと感じたことはあるのか?と聞くと、「ある」とのことで、父の周りの子たちが自転車を買ってもらっていて、自転車を買ってくれといったが買ってもらえず、自分の家はお金がないんだと実感したんだそう。そんな経験があるからか、祖母も父もとても堅実で、私は一度もお金に困ったことはありませんでした。大学も奨学金を借りずに行かせてもらえたし、海外にも行かせてもらえました。

私は、お金に困ることもなく、穏やかで優しい人たちに囲まれて育ってきました。いつも笑顔を向けてくれ、がんばりなさいと言って励ましてくれ、結果が出たらとてもよろこんでくれて認めてくれる人たちに囲まれて育ちました。祖母と父の家系に生まれることができて、本当に幸せです。そして、いろいろ悩ましいことはありますが今も私は幸せです。

 

私はもう、飛行機を使わないと祖母に会えない距離に住んでいるので、2018-2019年の年末年始に帰って以来会っていません。ただ、私の息子たちの七五三を私の実家でしようと思っているので、来月10月に帰省する予定です。きっと、それが生きている祖母に会える最後になると思います。10月に会った後、次に会うのは祖母が棺に入っているときでしょう。

最後に会ったときにどう時間を過ごすか、すごく考えています。なんだか泣いてしまいそう。すでに、祖母が亡くなってしまうということを考えるだけで涙が出てきます。会うたびに「かわいい、かわいい」と言ってくれたこと、祖母の穏やかな笑顔、優しい声、帰省したときに会話した内容、一緒に笑ったこと、一緒に寝たこと、作ってくれたご飯。思い出が頭の中に浮かんで、涙が出ます。ただ生きているだけでいい、という感情をようやく理解できたように思います。

 

今年は、人生観にパラダイムシフトが起こりつつあるな、と感じる今日この頃です。本当に人って、死んでしまう。それも簡単に死んでしまう。予兆がないこともある。そんな中でどう時間を過ごしていくのか、どう人と関わっていくのか、改めて考えだしている今日この頃です。